事例:大規模組織がコアタイムなしフレックスタイム制で実現した多様な働き方 - 運用課題と評価制度連携の具体策
はじめに:大規模組織における時間的柔軟性の重要性
近年、新しい働き方の推進において、働く「時間」の柔軟性は極めて重要な要素となっています。特に大企業のように、多様な事業部門、職種、従業員層を抱える組織では、個々の事情や業務内容に応じた柔軟な時間の使い方が、生産性向上、創造性の促進、そして優秀な人材の確保・定着に不可欠です。
しかし、大規模組織における時間管理の柔軟性向上は、多くの複雑な課題を伴います。例えば、全社的な勤怠管理システムの改修、部門ごとの異なるニーズへの対応、労働時間と成果の評価、労務リスク管理、そして最も重要な組織文化の変革など、クリアすべきハードルは少なくありません。
本記事では、「コアタイムなしフレックスタイム制」、いわゆるスーパーフレックスタイム制を大規模組織で導入し、成功を収めた事例を取り上げます。単なる制度紹介に留まらず、導入にあたって直面した具体的な運用課題や、人事評価制度との連携、それらをどのように克服したのか、そのプロセスと成功要因を詳細に解説します。読者である大規模組織の人事・経営企画担当者の皆様が、自社での時間的柔軟性向上施策を検討する上で、具体的なヒントや示唆を得られることを目指します。
事例概要:多様な人材が働く大規模サービス企業A社
今回取り上げるのは、国内外に複数の事業を展開し、数万人の従業員を擁する大規模サービス企業A社の事例です。同社では、以前から一部部門でコアタイム付きのフレックスタイム制が導入されていましたが、全社的な働き方改革の一環として、より一層の時間的柔軟性を追求するため、コアタイムなしのスーパーフレックスタイム制を導入することを決定しました。
導入前の課題:固定的な時間管理の限界
スーパーフレックス導入以前、A社では多くの部門で標準的な勤務時間(例:9:00~18:00)が設定されており、一部フレックスタイム制が適用されていましたが、コアタイムが存在しました。この状況において、以下のような課題が顕在化していました。
- 生産性・創造性の阻害: 全員が同じ時間に働く必要がない業務においても、一律の時間拘束があることで、集中して業務に取り組む時間や、創造的な思考に必要な時間が十分に確保できない場合がありました。
- 多様なニーズへの非対応: 育児、介護、自己啓発、通院など、多様なライフスタイルや個人的な事情を持つ従業員にとって、固定的な時間管理は働き続ける上での大きな制約となっていました。特に、これらの事情で退職を選択するケースも散見されました。
- 優秀な人材獲得競争における不利: 時間や場所にとらわれない働き方が可能な他社と比較して、採用競争において不利になる側面がありました。
- 部門・職種間のミスマッチ: 標準的な時間管理が、一部の職種(例:顧客対応、緊急対応が必要な部門)には適合しつつも、別の職種(例:研究開発、企画部門)には必ずしも最適ではないという状況がありました。大規模組織ゆえに、このミスマッチが広範に影響していました。
導入目的:従業員満足度と企業競争力の向上
これらの課題を解決し、企業競争力を高めるため、A社はスーパーフレックスタイム制の全社導入を決定しました。その主な目的は以下の通りです。
- 生産性と創造性の向上: 個々の従業員が最もパフォーマンスを発揮できる時間帯に働くことを可能にし、集中力や創造性を高める。
- 多様な人材の活躍推進と定着: 育児、介護、病気の治療など、様々な事情を抱える従業員が柔軟に時間を調整できるようにすることで、働き続けられる環境を整備し、優秀な人材の流出を防ぐ。
- 企業ブランディングの強化: 柔軟な働き方を推進する企業として認知され、多様な人材からの応募を促進する。
- 従業員エンゲージメント向上: 自身の働き方を主体的に選択できることで、仕事への主体性や満足度を高める。
スーパーフレックスタイム制の具体的な取り組み内容とプロセス
A社は、スーパーフレックスタイム制の全社導入に向け、慎重かつ計画的なプロセスを踏みました。
1. 導入方針決定とプロジェクトチーム組成
経営層が強力なリーダーシップを発揮し、スーパーフレックス導入による働き方改革の重要性を全社に発信しました。同時に、人事部門が中心となり、関係部門(IT、経理、各事業部門の代表者など)から成る横断的なプロジェクトチームを組成しました。このチームが、制度設計、規程改定、システム改修、社内コミュニケーション計画などを担当しました。
2. 制度設計と規程改定
コアタイムを撤廃し、従業員が自身の裁量で始業・終業時刻を決定できる制度を設計しました。ただし、以下の点に特に留意しました。
- 清算期間: 1ヶ月単位の清算期間を採用し、期間内の総労働時間を満たすことを義務付けました。これにより、日々の労働時間のバラつきを吸収しつつ、長時間労働のリスクを管理できるようにしました。
- フレキシブルタイム: 働くことのできる時間帯(例:5:00~22:00など)を設定し、深夜・早朝労働に関する健康面・労務管理面の配慮を行いました。
- 労働時間管理: 従業員自身が始業・終業時刻を正確に記録することを義務付け、勤怠管理システムでの打刻を徹底しました。
- 会議等への参加義務: 業務上必要な会議や顧客対応などについては、所属部門やチームのルール、あるいは事前に合意した時間帯に参加・対応することを明確にしました。
これらの制度設計に基づき、就業規則および関連規程を改定し、労使協議会での合意形成を行いました。
3. ITシステム改修と活用
スーパーフレックス制の運用には、正確な労働時間把握と管理が不可欠です。A社は、既存の勤怠管理システムを改修し、コアタイムなしでの時間管理、清算期間における労働時間集計、時間外労働の申請・承認プロセスなどが円滑に行えるようにしました。また、従業員がPCログオン/ログオフ時間と自己申告を組み合わせて記録する仕組みや、一定時間を超える場合にアラートを出す機能を実装しました。 さらに、部門内やチーム間のコミュニケーションを円滑にするため、オンライン会議ツール、チャットツール、プロジェクト管理ツールの活用を全社的に推奨し、利用ガイドラインを整備しました。
4. 社内コミュニケーションと教育
制度変更に対する従業員の不安を解消し、制度の趣旨を正しく理解してもらうため、全従業員および管理職向けに丁寧な説明会を実施しました。特に管理職に対しては、マイクロマネジメントからの脱却、成果による評価、チーム内のコミュニケーション円滑化、部下の健康管理といった観点でのマネジメント研修を重点的に行いました。 従業員に対しては、自己管理能力の重要性、柔軟な時間利用のメリットと責任、労務ルール遵守に関する教育を行いました。
直面した課題と克服策:大規模組織ならではの壁
A社のスーパーフレックス導入は順調に進んだわけではありませんでした。大規模組織ゆえの複雑性から、いくつかの運用上の課題に直面しましたが、プロジェクトチームを中心に対策を講じました。
課題1:チーム・部門間のコミュニケーションと連携の難しさ
従業員がバラバラの時間に働くようになったことで、「あの人にすぐ確認したいのに捕まらない」「定例会議の時間調整が難しい」といった声が一部のチームから上がりました。特に、他部署との連携が多い業務や、リアルタイムでの対応が求められる業務でこの傾向が見られました。
克服策:
- コミュニケーションガイドラインの整備: メール、チャット、電話、Web会議など、コミュニケーションツールの使い分けルールを明確化しました。「緊急度の高い要件は電話または特定のチャットチャンネルを使用する」「会議を設定する際は複数の候補日時を提示する」といった具体的なガイドラインを全社に展開しました。
- 非同期コミュニケーションの推進: ドキュメント共有ツールやプロジェクト管理ツールを活用し、情報共有や進捗報告を特定の時間に縛られずに行えるように推奨しました。議事録や決定事項の共有を徹底しました。
- 部門ごとの調整: 業務特性上、リアルタイムでの連携が必須となる一部の部門・チームについては、チーム内で「コアタイムのような推奨稼働時間帯」を自主的に設定することを容認し、柔軟な運用を認めました(ただし、これは全社的な制度としてのコアタイムとは異なり、強制力を持つものではありません)。
課題2:労働時間管理の曖昧化と労務リスクの増大
従業員の働く時間がブラックボックス化しやすいという懸念がありました。特に、自己申告頼みになると、サービス残業や長時間労働が見えにくくなるリスク、あるいは逆に働いているのに短く申告してしまうリスクなどが考えられました。
克服策:
- 勤怠管理システムの高度化: PCのログオン/ログオフ時間と勤怠システムの打刻情報を自動連携させるなど、客観的な労働時間把握の精度を高めました。
- アラート機能と管理職連携: 清算期間において、予定労働時間に対して稼働時間が極端に少ない場合や、長時間労働が疑われる場合に、システムから従業員本人と管理職に自動でアラートが飛ぶ仕組みを導入しました。
- 管理職の労務管理研修: 管理職に対し、部下の労働時間だけでなく、業務の進捗状況や健康状態を定期的に確認することの重要性を再教育しました。1on1ミーティングの活用を推奨しました。
- 従業員への教育: 従業員自身にも、正確な時間記録の重要性、健康管理の責任について繰り返し周知徹底しました。
課題3:成果とプロセスの評価における公平性の担保
スーパーフレックス導入の目的の一つは「時間ではなく成果で評価する」ことでしたが、これを大規模組織で徹底し、公平性を担保することは容易ではありませんでした。「長く働いている人が頑張っている」という旧来の評価観念が根強く残っている部門や、個人の成果が定義しにくいチーム業務など、評価の難しさが顕在化しました。
克服策:
- 評価制度の明確化と透明性向上: 目標設定プロセスを刷新し、個人の役割と期待される成果をより具体的に定義しました。評価指標において、労働時間ではなく、設定された目標達成度、貢献度、プロセスにおける工夫などを重視する旨を明確にしました。
- 評価者研修の徹底: 全ての管理職に対し、新しい評価制度の考え方、特に時間にとらわれずに成果や貢献を評価する視点について、実践的な研修を繰り返し実施しました。評価者間の目線を合わせるための取り組み(キャリブレーション会議など)を強化しました。
- 多面評価の活用: 上司だけでなく、同僚や部下からのフィードバックを評価の参考にする仕組みを導入し、評価の客観性と納得感を高めました。
- 定期的なフィードバック機会: 管理職が部下と定期的に1on1ミーティングを実施し、目標の進捗確認、課題の共有、キャリア開発に関する対話を行うことを必須としました。これにより、評価期間終了時だけでなく、日々の業務における貢献度やプロセスを把握し、評価に反映させやすくしました。
課題4:組織文化への浸透と「自由」への意識改革
長年定着していた「決められた時間に働くのが当たり前」という意識を変えることは、大規模組織において特に時間を要しました。一部には、制度を活用することにためらいを感じる従業員や、「勝手に時間管理できる」と誤解し、かえってコミュニケーションが不足したり、無計画に長時間労働をしてしまったりするケースも見られました。
克服策:
- トップメッセージと成功事例の発信: 経営層が継続的に働き方改革の重要性とスーパーフレックス制の意義を繰り返し発信しました。制度を活用して成果を上げた従業員やチームの事例を社内報やイントラネットで積極的に共有しました。
- ワークショップ形式での対話: 各部門で、スーパーフレックス制のもとで「自分たちのチームはどう働くのが最適か」「コミュニケーションルールはどうするか」といったテーマで話し合うワークショップを実施し、自分たちで新しい働き方を主体的にデザインする意識を醸成しました。
- 相談窓口の設置: 制度の利用方法、運用上の疑問、人間関係の悩みなど、従業員や管理職が気軽に相談できる窓口(人事部門、産業医、ハラスメント相談窓口など)を設置し、安心して制度を活用できる環境を整備しました。
導入効果:定量・定性の両面で効果を確認
A社のスーパーフレックスタイム制導入は、いくつかの課題を乗り越えながらも、着実に効果を上げています。
定量的な効果例:
- 残業時間の削減: 一部部門では、コアタイム撤廃による時間管理の柔軟化と、管理職による適切なマネジメント強化により、不要な残業が削減されました。
- 離職率の低下: 特に育児・介護中の従業員や、ワークライフバランスを重視する層の離職率に改善が見られました。
- 採用応募者数の増加: 柔軟な働き方を企業文化として発信したことで、採用活動における応募者数が増加し、多様な人材を獲得しやすくなりました。
定性的な効果例:
- 従業員満足度の向上: 自身の裁量で働けることに対する満足度が高まりました。「時間を気にせず集中できる時間が増えた」「家族との時間が増えた」といった声が多く聞かれました。
- 生産性・創造性の向上実感: 従業員アンケートでは、「業務の集中度が高まった」「新しいアイデアを考える時間が増えた」といった回答が増加しました。
- 多様な人材の活躍推進: 時間的制約があった従業員がより重要な業務にアサインされるなど、能力を十分に発揮できる機会が増えました。
成功要因と他の組織への示唆
A社の事例から、大規模組織で時間的柔軟性を伴う新しい働き方を成功させるための重要な要素が見えてきます。
- 経営層の強いコミットメントと一貫したメッセージ: 制度導入の目的と意義を明確に打ち出し、全社に浸透させるためには、経営層の継続的な関与が不可欠です。
- 部門横断的なプロジェクトチームと丁寧な制度設計: 人事だけでなく、利用部門、IT、労務など、関係者全員が参加するチームで、大規模組織ならではの複雑性を考慮した綿密な制度設計を行うことが重要です。
- ITシステムの積極活用と継続的な改善: 柔軟な時間管理を正確かつ効率的に行うためには、勤怠管理システムをはじめとするIT基盤の整備と、現場の声を反映した継続的な改善が必要です。
- 管理職の変革と従業員への教育: 新しい働き方におけるマネジメントのあり方を管理職に理解させ、実践させること、そして従業員一人ひとりの意識と行動を変えるための丁寧な教育・研修が成功の鍵を握ります。
- 人事評価制度との連携と公平性の担保: 時間ではなく成果で評価するという原則を徹底し、評価の公平性・透明性を高める仕組みは、従業員が安心して柔軟な働き方を選択するために不可欠です。
- 課題の早期発見と迅速な対応: 運用開始後に発生する課題(コミュニケーション、労務管理など)を早期に発見し、柔軟かつ迅速に対応する体制(相談窓口、アンケート、フォローアップ会議など)が、制度を定着させるためには重要です。
大規模組織における働き方改革は、単に制度を変更するだけでなく、組織の文化、マネジメントスタイル、従業員の意識と行動、そしてそれを支えるIT基盤や人事評価制度など、多岐にわたる要素を同時に変革していくプロセスです。A社の事例は、これらの要素に包括的に取り組み、課題を一つ一つ克服していくことの重要性を示唆しています。
まとめ:変革への一歩を踏み出すために
本記事では、大規模サービス企業A社におけるスーパーフレックスタイム制の導入事例を通じて、制度設計、運用上の課題、克服策、そして人事評価との連携について詳細に解説しました。時間的柔軟性の向上は、生産性向上、人材の多様化・定着、そして企業競争力強化に繋がる重要な取り組みです。
大規模組織でこのような変革を進めるには、多くの困難が伴います。しかし、A社の事例が示すように、経営層のリーダーシップのもと、関係部門が連携し、ITシステムを活用し、そして何よりも「人」への丁寧な教育とサポートを欠かさなければ、これらの課題を克服し、新しい働き方を組織に根付かせることが可能です。
読者の皆様におかれましても、本事例を参考に、自社の組織文化や業務特性を踏まえながら、時間的柔軟性を含む多様な働き方の導入・推進に向けた具体的な検討を進めていただければ幸いです。働き方改革は一度で完了するものではありません。導入後も継続的に従業員の声を聴き、課題を改善し、より良い働き方を追求していく姿勢が、企業の持続的な成長に繋がるものと考えられます。