大規模組織における働き方改革と連携した健康経営・ウェルビーイング推進事例:従業員の心身の健康を支える制度設計と浸透策
働き方改革の次の視点:ウェルビーイングへの統合
現代の企業経営において、働き方改革は単なる労働時間短縮や柔軟な勤務形態の導入に留まらず、従業員一人ひとりのパフォーマンスを最大限に引き出すための重要な戦略となっています。特に大規模組織では、多様な人材が働く環境の中で、生産性の維持・向上とともに、従業員の心身の健康、すなわち「ウェルビーイング」の確保が不可欠です。
しかし、新しい働き方の導入は、従業員間のコミュニケーション減少、長時間労働の潜在的リスク、メンタルヘルスの課題顕在化など、新たな健康課題を生む可能性も指摘されています。本稿では、ある大規模組織が、働き方改革を推進する中で、どのように健康経営・ウェルビーイング戦略を統合し、従業員の心身の健康を支え、成果につなげたのか、その具体的な事例をご紹介します。
事例概要:新しい働き方導入に伴う健康課題への対応
ここでご紹介する企業A社は、数万人の従業員を抱える多角的な事業を展開する大規模組織です。かねてより働き方改革として、全社的なリモートワーク・ハイブリッドワークの推進、コアタイムなしのフレックスタイム制拡大などを実施していました。
導入前の課題
働き方改革の導入は一定の成果を上げる一方、以下のような課題が顕在化していました。
- 従業員の心身の健康への影響: リモートワークによる孤立感、オンオフの切り替えの難しさからくる長時間労働傾向、コミュニケーション不足による精神的な不調の増加懸念。
- 健康管理の複雑化: 多様な働き方の中で、従業員の健康状態を包括的に把握・サポートすることが困難に。特に非対面環境での早期発見・早期対応の難しさ。
- 健康施策利用率の偏り: 従来の健康診断や特定の健康イベントへの参加率は一定あるものの、メンタルヘルスケアや自己啓発的なウェルビーイング関連施策への関心や利用率に従業員間、部署間でばらつきが見られる。
- 健康経営と働き方改革の連携不足: それぞれの施策が独立して進められており、相乗効果を生み出しにくい状況。
目的
これらの課題に対し、A社は働き方改革と連動した形で、以下の目的を掲げた健康経営・ウェルビーイング推進プロジェクトを立ち上げました。
- 従業員の心身の健康維持・増進を通じて、エンゲージメントと生産性を向上させる。
- 多様な働き方に対応した、全ての従業員がアクセスしやすい健康支援体制を構築する。
- 新しい働き方が従業員の健康を損なうリスクを低減する。
- 健康経営を企業文化として根付かせ、持続可能な組織を目指す。
具体的な取り組み内容とプロセス
A社は、人事部門、安全衛生部門、各事業部門のリーダーが連携し、多角的なアプローチで健康経営・ウェルビーイングを推進しました。
1. 制度・施策の拡充と見直し
- 時間管理の柔軟化と健康への配慮:
- コアタイムなしフレックスタイム制の推奨を強化し、特に時間単位休暇の取得を促進。「短時間でリフレッシュする文化」を醸成しました。
- 労働時間データに基づき、長時間労働の兆候がある従業員や管理職へ早期にアラートを発信するシステムを導入し、産業医面談や所属部門での業務調整を促しました。
- 会議間の移動時間確保、オンライン会議の終わり時間の明確化、休憩時間の取得推奨など、働く「時間」の使い方に関するガイドラインを策定・周知しました。
- メンタルヘルス支援の強化:
- 社内相談窓口(産業医、保健師)に加え、外部EAP(従業員支援プログラム)サービスの利用促進。特にオンラインでの相談体制を強化し、アクセス障壁を下げました。匿名での相談も可能としました。
- 管理職向けのラインケア研修を必須化。リモート環境下での部下の変化に気づくポイント、声のかけ方、相談先への繋ぎ方などを具体的な事例を交えて実施しました。
- 従業員向けには、セルフケア研修(ストレスマネジメント、マインドフルネスなど)をオンラインで提供し、いつでも受講できるようにしました。
- 健康増進施策の多様化:
- オンラインフィットネスプログラム、睡眠改善ウェビナー、食事に関する情報提供などを実施。オフィス勤務者向けには、オフィスでのストレッチスペース設置や、外部講師を招いた運動機会を提供しました。
- ウォーキングイベントなど、オンライン・オフライン両方で従業員が参加できる健康イベントを企画し、運動習慣の定着と従業員間の交流促進を図りました。
2. テクノロジーを活用した健康管理
- 健康管理プラットフォームの導入: 従業員が自身の健康診断結果、ストレスチェック結果、労働時間データなどを一元的に確認できるポータルサイトとアプリを開発しました。
- データ分析による健康課題の特定: 勤怠データ、ストレスチェック結果、定期健康診断結果などを統合的に分析し、部署別、職種別、働き方別の健康リスクを可視化。リスクの高い層に対して重点的なケアや情報提供を行いました。
- オンライン相談・セルフケアツールの提供: チャットボットによる一次相談、オンラインカウンセリング予約システム、心身の状態を記録・トラッキングできるセルフケアアプリなどを導入し、従業員がいつでも・どこでも健康支援にアクセスできる環境を整備しました。
3. 企業文化への浸透とエンゲージメント向上
- 経営層からのメッセージ発信: 社長を含む経営層が、従業員の健康とウェルビーイングの重要性を繰り返し発信しました。「健康が生産性の基盤である」「心身ともに健康でこそ、新しい働き方が活きる」といったメッセージを社内報、タウンホールミーティング、イントラネットなどを通じて伝えました。
- 「心理的安全性」の高い職場づくり: 管理職研修やチームビルディング施策の中で、お互いを尊重し、安心して意見や懸念を表明できる文化の醸成を強調しました。特にメンタルヘルス不調に関する相談しやすい雰囲気づくりに注力しました。
- 従業員参加型プロジェクト: 健康増進やウェルビーイング施策の企画・実行に、各部署から募った従業員代表を参画させました。これにより、多様な現場のニーズを施策に反映させ、自分たちの健康を自分たちで創る意識を高めました。
直面した課題と克服策
多岐にわたる取り組みを進める中で、いくつかの課題に直面しました。
- 施策利用率の低さ: 特にメンタルヘルス関連施策や、オンライン健康増進プログラムの利用率が当初伸び悩みました。
- 克服策: 経営層からの継続的なメッセージ発信に加え、施策のメリットを具体的に伝える広報を強化しました。また、匿名での利用を保証し、利用プロセスを簡略化しました。各部門リーダーを通じて、個別の声掛けや推奨も行いました。
- 部署・職種による関心・ニーズの差: 製造部門と研究開発部門では、健康課題や関心が大きく異なりました。
- 克服策: データ分析により特定された部署別の健康リスクやニーズに基づき、カスタマイズされた情報提供や施策を企画しました。例えば、製造現場には肉体的な負担軽減や安全衛生に関する情報を、デスクワーク中心の部門にはVDT症候群対策やメンタルヘルスケアに重点を置くなど、テーラリングを行いました。部門の責任者を巻き込み、主体的な推進を促しました。
- 新しい働き方(リモートワーク等)との両立における混乱: 柔軟な働き方を推奨する一方で、「いつでも働ける」ことによる過重労働リスクや、オンオフの切り替えの難しさをどう是正するかが課題となりました。
- 克服策: 労働時間管理システムの強化に加え、「勤務時間外の連絡に関するガイドライン」や「連続休憩時間の確保推奨」といった具体的なルールや推奨事項を策定・周知しました。また、管理職が部下の勤怠状況を適切に把握し、必要に応じて業務量調整や声掛けを行うための研修とツールを提供しました。
導入効果
これらの取り組みの結果、A社では以下のような効果が見られました。
- 従業員の健康状態改善: ストレスチェックにおける高ストレス者率が対前年比で5%低下しました(定量的)。また、休職・離職率にも改善傾向が見られました(定量的)。
- エンゲージメント向上: 定期的に実施している従業員エンゲージメントサーベイにおいて、「心身ともに健康に働けていると感じるか」「会社は従業員の健康を気にかけていると感じるか」といった項目での肯定的な回答率が向上しました(定量的)。
- 生産性維持・向上: 健康経営・ウェルビーイング施策導入後も、一人当たり生産性は維持または微増となりました。アブセンティズム(病欠などによる欠勤)およびプレゼンティズム(心身の不調による業務効率の低下)の改善に貢献したと考えられます(定性的、関連データからの推測)。
- 企業イメージ向上: 「従業員の健康を大切にする会社」としての企業イメージが社内外で高まり、採用活動においてもポジティブな影響が見られました(定性的)。
成功要因
A社の事例から見出される主な成功要因は以下の通りです。
- 経営層の強いコミットメント: 健康経営・ウェルビーイングを単なる福利厚生としてではなく、企業戦略の根幹として位置づけ、経営層が率先してメッセージを発信したことが、全社的な取り組みの推進力となりました。
- 働き方改革との一体的な推進: 新しい働き方によって生じうる健康課題を事前に想定し、働き方改革の推進と同時に健康経営・ウェルビーイング施策を立案・実行したことで、施策間の矛盾を防ぎ、相乗効果を生み出しました。
- データに基づいた課題特定と施策の最適化: 勤怠データ、健康診断、ストレスチェックなどのデータを総合的に分析し、従業員の健康状態やリスクを客観的に把握。これにより、全社的な施策と部署ごとのカスタマイズ施策を効果的に組み合わせることが可能となりました。
- 多部門連携と従業員の巻き込み: 人事、安全衛生、各事業部門、さらには従業員代表が密に連携し、多様な視点を取り入れながら施策を企画・実行しました。従業員が「やらされている」ではなく「自分たちのこと」として捉えられるような参加型のアプローチが重要でした。
- 継続的なコミュニケーションと文化醸成: 一度きりのイベントではなく、健康やウェルビーイングに関する情報を継続的に発信し、管理職研修などを通じて「心理的安全性」の高い職場文化づくりに地道に取り組んだことが、施策の定着と効果の最大化につながりました。
他の組織への示唆
A社の事例は、特に大規模組織が働き方改革を推進する上で、健康経営・ウェルビーイングへの取り組みが不可欠であることを示唆しています。
- 働き方と健康は一体: 柔軟な働き方を導入する際は、同時に従業員の心身の健康をどう守り、増進するかをセットで検討する必要があります。単に制度を作るだけでなく、その制度が健康に与える影響を考慮した運用ガイドラインやサポート体制が重要です。
- データ活用の重要性: 大規模組織ほど、個別対応は困難になります。しかし、データを活用して傾向やリスク層を特定し、効果的な施策をターゲットに届けることが可能です。
- 多様性への配慮: 部署や職種、個人の状況(ライフステージ、家庭環境など)によって、必要な健康サポートは異なります。画一的な施策ではなく、選択肢を提供したり、カスタマイズ可能なアプローチを取り入れたりすることが、利用率向上と効果に繋がります。
- 文化醸成の力: 制度やツールだけでは、従業員の健康は守れません。「健康であることが当たり前」「困った時に安心して相談できる」といった文化が根付いているかどうかが、取り組みの成否を分けます。経営層からの発信、管理職の意識変革、従業員同士のサポート促進など、多面的なアプローチが必要です。
まとめ
大規模組織における働き方改革の成功は、従業員のウェルビーイングなくしては語れません。A社の事例は、新しい働き方がもたらす可能性と課題を深く理解し、健康経営・ウェルビーイング戦略を働き方改革と一体的に推進することの重要性を示しています。
データに基づいた課題特定、多様なニーズに応える制度・施策の設計、テクノロジーの活用、そして最も重要な「心理的安全性」の高い企業文化の醸成。これらを着実に実行していくことが、大規模組織が持続可能な成長を遂げるための鍵となります。本事例が、貴社における働き方改革推進、そして従業員のウェルビーイング向上に向けた取り組みのヒントとなれば幸いです。