事例:大規模組織がDXツール導入で実現した新しい働き方 - テクノロジー定着と組織文化変革のアプローチ
はじめに:DX推進と働き方改革の密接な関係
近年、多くの企業がデジタルトランスフォーメーション(DX)の推進に取り組んでいます。DXは単に新しいテクノロジーを導入することだけを指すのではなく、データやデジタル技術を活用してビジネスモデルを変革し、組織のあり方そのものをアップデートしていくプロセスです。このDX推進は、しばしば新しい働き方の実現と深く結びついています。
特に大規模組織においては、複雑な組織構造、多様な業務プロセス、従業員のリテラシー格差など、DXツール導入とそれに伴う働き方改革には多くの課題が存在します。しかし、これらの課題を乗り越え、テクノロジーの力を借りて従業員の働きがいと生産性を同時に向上させている先進事例も存在します。
本稿では、ある大規模組織がDXツール導入を起点として働き方改革を推進し、テクノロジーの定着と組織文化の変革をどのように実現したのか、その具体的な事例を詳細に解説します。導入の背景から、具体的な施策、直面した課題とその克服策、そして導入効果までを掘り下げ、他の大規模組織が新しい働き方を推進する上での示唆を提供いたします。
事例企業の概要と働き方改革の背景
本事例の対象となるのは、国内に複数の拠点を持ち、様々な職種(研究開発、製造、営業、コーポレート部門など)を抱える従業員数1万人規模の製造業A社です。A社では以前から働き方に関する課題を認識しており、長時間労働の常態化、部門間の連携不足、紙ベースの煩雑な業務プロセスなどが生産性を阻害していました。
また、市場環境の変化に対応するため、より迅速な意思決定とイノベーションの促進が求められていました。これらの課題を解決し、組織全体の競争力を高める手段として、DX推進、特にクラウドベースのコラボレーションツールやワークフロー自動化ツールの全社導入が計画されました。これは、単なる効率化だけでなく、「場所や時間にとらわれずに柔軟に働ける環境を整備し、従業員一人ひとりの創造性を引き出す」という新しい働き方への変革を目指すものでした。
働き方改革の目的と具体的な取り組み内容
A社におけるDXツール導入を通じた働き方改革の主な目的は以下の通りです。
- 生産性の向上: 非効率な業務プロセスを削減し、コア業務に集中できる時間を増やす。
- コミュニケーションの活性化: 部門間・拠点間の連携を強化し、情報共有をスムーズにする。
- 柔軟な働き方の実現: テレワークやABW(Activity Based Working)を可能にする環境を整備する。
- 組織文化の変革: 自律性や協調性を重視する文化を醸成する。
これらの目的達成のため、以下の具体的な取り組みが進められました。
1. 主要DXツールの選定と導入
全社共通の基盤として、クラウドベースのグループウェア、Web会議システム、ファイル共有サービス、タスク管理ツール、そして一部業務の自動化に向けたRPAツールなどが段階的に導入されました。ツール選定にあたっては、既存システムとの連携性、セキュリティ、そして従業員の使いやすさが重視されました。
2. テクノロジー定着のための多層的なサポート体制
大規模組織におけるツール導入最大の課題の一つは、従業員への定着です。A社では、この課題に対し多層的なアプローチをとりました。
- 全従業員向け研修: ツール導入の目的と基本的な使い方を学ぶ e-learning コンテンツと集合研修を実施しました。特にデジタルに不慣れな層向けには、個別のフォローアップや少人数制のハンズオン形式研修を強化しました。
- 部門・拠点別サポーター育成: 各部門・各拠点の有志を「デジタル推進リーダー」として任命し、ツールの活用方法や困りごとに関するQ&A対応、成功事例の共有などを担ってもらいました。彼らは研修で専門的な知識を習得し、現場の身近な相談役として機能しました。
- ヘルプデスク機能の強化: ツールに関する問い合わせに対応する専門のヘルプデスクを設置し、迅速な問題解決を図りました。よくある質問や操作方法は社内ポータルサイトで公開し、自己解決を促しました。
3. ツール活用を促進する制度・ルール変更
ツール導入の効果を最大化するため、既存の制度やルールも見直されました。
- 会議文化の見直し: Web会議システムを活用したオンライン会議を推奨し、移動時間の削減と意思決定スピードの向上を図りました。会議時間の短縮ルールや、資料の事前共有の徹底なども合わせて推進しました。
- 承認プロセスのデジタル化: ワークフロー自動化ツールを活用し、各種申請・承認業務をオンライン化しました。これにより、承認にかかる時間が大幅に短縮され、場所を選ばずに業務を進められるようになりました。
- テレワーク制度の拡充: クラウドツールによる環境整備と並行して、テレワークが可能な対象者や日数の制限を緩和しました。部門ごとに業務特性に応じたテレワークのルールを定めるなど、柔軟な運用を推奨しました。
4. 組織文化変革へのアプローチ
新しい働き方やツール活用を推進するためには、単なる仕組みだけでなく、従業員の意識や行動を変える組織文化の変革が不可欠です。
- 経営層からのメッセージ発信: 社長をはじめとする経営層が、新しい働き方やDXツールの重要性について繰り返しメッセージを発信しました。自らが積極的にツールを活用し、その効果を示すことで、従業員の意識改革をリードしました。
- 成功事例の共有: 各部門や個人によるツール活用や新しい働き方の成功事例を社内報や社内SNSで積極的に共有しました。「〇〇部門ではWeb会議で移動時間を△時間削減できた」「△△さんはタスク管理ツールで業務効率が〇〇%向上した」といった具体的な事例を示すことで、「自分たちもやってみよう」という機運を高めました。
- 心理的安全性の確保: 新しい働き方やツール活用に対して、疑問や不安、あるいは抵抗感を持つ従業員がいることを認め、それらをオープンに話し合える場を設けました。人事部門や各部署のマネージャーが積極的に耳を傾け、丁寧な対話を通じて不安解消に努めました。
5. 部署や職種による対応の違い
多様な職種を抱える大規模組織ゆえに、画一的なアプローチでは限界がありました。
- 製造現場: 製造現場では、直接的なツール活用は限定的ですが、製造データ収集・分析ツールの導入、遠隔での設備確認システムなど、現場のデジタル化を進めました。また、間接部門との情報連携をスムーズにするためのツール活用方法を検討しました。
- 研究開発部門: 部門の特性上、機密性の高い情報を取り扱うため、特定のツール利用制限や、より厳格なセキュリティポリシーを適用しました。一方で、国内外の研究者とのオンラインでの共同研究を促進するための専用環境整備も進めました。
- 営業部門: 外出が多い営業部門向けには、モバイルでのアクセス性を重視したツール選定や、顧客情報管理(CRM)ツールとの連携を強化しました。また、リモートでの商談スキルに関する研修なども実施しました。
- コーポレート部門: 経理、総務、人事などの部門では、ワークフロー自動化ツールやクラウドファイル共有を積極的に活用し、バックオフィス業務の効率化とペーパーレス化を推進しました。
このように、部門や職種の業務内容、情報感度、デジタルリテラシーなどを考慮し、きめ細やかな導入計画とサポートが行われました。
直面した課題と克服策
取り組みを進める中で、いくつかの課題に直面しました。
- 従業員の抵抗感とリテラシー格差: 特に経験年数の長い従業員や、これまでPCをあまり使わなかった現場従業員から、新しいツールへの抵抗や操作に関する戸惑いが見られました。これに対しては、前述の多層的なサポート体制に加え、個別の伴走支援、身近な成功体験の共有、そして「使わないことのリスク」ではなく「使うことのメリット」を粘り強く伝えるコミュニケーションを徹底しました。
- 新しいツールと既存プロセスの摩擦: 長年慣れ親しんだ業務プロセスを、ツールに合わせて変更することへの抵抗がありました。この克服には、一方的な指示ではなく、現場の意見を聞きながら、ツール導入を機に業務プロセスそのものを見直すワークショップを実施しました。現場の知恵を取り入れることで、より効率的で納得感のあるプロセスへの変革を促しました。
- オンラインコミュニケーションの質の維持: 対面での雑談や非公式な情報交換が減少し、コミュニケーションが形式的になる懸念がありました。これに対しては、Web会議の冒頭にアイスブレイクを取り入れる、オンラインランチ会を企画する、社内SNSで業務に関係ない趣味や興味のチャンネルを設けるなど、意図的にカジュアルなコミュニケーションの機会を創出しました。
- マネジメント層の意識改革: 部下の働き方が見えにくくなることへの不安や、成果でなくプロセスで評価したいという意識から、テレワークやツール活用に消極的なマネージャーも見られました。これに対しては、マネージャー向けの研修プログラムを開発し、新しい働き方における目標設定、進捗管理、評価、そして部下との信頼関係構築のノウハウを提供しました。また、マネージャー同士で課題や成功体験を共有する場を設け、相互学習を促進しました。
- 新しい働き方と評価制度の連携: テレワークやフレックスタイムの導入により、従来の「働く時間」や「オフィスにいること」を前提とした評価が難しくなりました。A社では、評価制度を見直し、より成果や貢献度、そして新しいツール活用によるプロセス改善などを重視する方向へと舵を切りました。半期ごとの目標設定において、働き方の柔軟性を活かしてどのような成果を目指すかを具体的に記述させるなど、評価と働き方を連動させる工夫を行いました。
導入後の効果と成功要因
これらの取り組みの結果、A社では以下の効果が見られました。
- 定量的効果:
- 会議時間の平均20%削減
- 承認プロセスの平均所要時間50%短縮
- 出張費・交通費の削減
- オフィススペースの見直しによるコスト削減(一部)
- 定性的効果:
- 部門間・拠点間の情報共有と連携の円滑化
- 意思決定スピードの向上
- テレワーク利用率の向上と従業員の柔軟な働き方の実現
- ペーパーレス化の進展
- 従業員アンケートにおける「会社のデジタル化への取り組み」に関する肯定的な評価の増加
効果測定にあたっては、ツールの利用データ(会議時間、承認時間など)、従業員アンケート、そして各部門からのヒアリングなどを組み合わせて、多角的に評価を実施しました。
この働き方改革を成功させた主な要因は以下の点が挙げられます。
- 経営層の強いコミットメントとメッセージ発信: 働き方改革とDX推進が経営戦略の柱であることを明確に示し、継続的に従業員に伝え続けたこと。
- 明確な目的設定と全従業員への浸透: 何のためにツールを導入し、働き方を変えるのか、その目的を共有し、個々の従業員にとってのメリットを具体的に伝えたこと。
- 現場主導とトライアンドエラーの推奨: 一方的な押し付けではなく、現場の意見を取り入れながら、小さな成功体験を積み重ねることを奨励したこと。
- 手厚いサポート体制と継続的な教育: 導入初期だけでなく、継続的な研修や個別サポートを提供し、従業員のリテラシー向上とツール定着を粘り強く支援したこと。
- 組織文化変革への同時アプローチ: 制度やツールだけでなく、従業員の意識や行動、そしてマネジメントのあり方にも同時にアプローチし、心理的安全性を確保しながら変革を進めたこと。
- 評価制度の見直しとの連携: 新しい働き方に見合った評価の仕組みを検討し、導入することで、従業員の行動変容を後押ししたこと。
他の大規模組織への示唆
A社の事例から、大規模組織がDXツール導入を起点に働き方改革を成功させるためには、いくつかの重要な示唆が得られます。
第一に、テクノロジー導入はあくまで手段であり、目的は新しい働き方や組織文化の実現にあるという明確な認識を持つことです。単にツールを導入するだけでなく、それが従業員の働き方や業務プロセスにどう影響するかを深く検討し、必要な制度やルールの変更を伴う必要があります。
第二に、大規模組織ゆえの多様性に対応することの重要性です。部門や職種、従業員のデジタルリテラシーなど、様々な状況を考慮し、画一的なアプローチではなく、きめ細やかなサポート体制や柔軟なルール設定を行うことが成功の鍵となります。特に、デジタルに不慣れな層への手厚い支援は不可欠です。
第三に、組織文化の変革を同時に進めることです。経営層の強いリーダーシップのもと、成功事例を共有し、心理的安全性を確保しながら、従業員一人ひとりの意識と行動の変容を促すコミュニケーションを継続的に行う必要があります。また、マネジメント層が新しい働き方を理解し、部下をサポートできるよう、彼らへの教育や支援も重要です。
最後に、導入効果を多角的に測定し、継続的な改善につなげる視点です。定量的なデータだけでなく、従業員の声や定性的な変化も捉え、当初の目的がどの程度達成されているかを定期的に確認し、次の施策へと活かしていくことが、働き方改革を定着させる上で重要となります。新しい働き方に対応した人事評価制度の見直しも、従業員の行動変容を促す重要な要素となります。
まとめ
本稿では、大規模製造業A社がDXツール導入を契機にどのように働き方改革を推進し、テクノロジー定着と組織文化変革を両立させたのか、その具体的な事例を解説しました。ツール導入の困難、従業員の抵抗、既存プロセスとの摩擦など、大規模組織特有の課題に直面しながらも、多層的なサポート、制度変更、組織文化へのアプローチ、そして部門別の柔軟な対応を通じてこれらの課題を克服し、生産性向上と多様な働き方の実現という成果を上げています。
大規模組織における働き方改革は一朝一夕に成し遂げられるものではありません。しかし、明確な目的意識を持ち、テクノロジー、制度、そして最も重要な「人」と「文化」への継続的なアプローチを行うことで、着実に成功へと近づくことが可能です。本事例が、貴社における働き方改革推進の一助となれば幸いです。