事例:大規模製造業が製造現場の働き方改革で実現した生産性向上と従業員エンゲージメント向上 - スマートファクトリー技術と柔軟な組織運用のアプローチ
はじめに:大規模製造業における製造現場の働き方改革の意義
新しい働き方の導入は、オフィス部門だけでなく、製造現場においても喫緊の課題となっています。特に大規模な製造業においては、グローバル競争の激化、技術革新への対応、少子高齢化に伴う人手不足や技術・技能伝承の課題など、現場特有の多様な課題が存在します。これらの課題に対応し、持続的な成長を実現するためには、製造現場の働き方そのものを変革していくことが不可欠です。
製造現場の働き方改革は、単なる労働時間の短縮や休暇制度の導入にとどまらず、生産性の向上、品質の安定化、従業員の安全確保、そして働く人々のモチベーションやエンゲージメントの向上に直結します。しかし、定位置・定時間での作業が多い製造現場での働き方改革は、オフィス部門とは異なるアプローチや制度設計が求められます。
本記事では、ある大規模製造業の事例を取り上げ、製造現場においてどのように新しい働き方を導入し、生産性向上と従業員エンゲージメント向上を実現したのかを詳細に解説します。導入前の課題、具体的な取り組み、直面した困難とその克服策、そして導入後の効果や成功要因から、他の大規模組織、特に現場を持つ企業が働き方改革を進める上での実践的なヒントを探ります。
事例企業の概要と導入前の課題
今回ご紹介する事例企業は、自動車部品を製造する従業員数数万人の大規模製造業A社です。複数の国内外工場を持ち、多品種少量生産から大量生産まで幅広い製品を手掛けています。
A社の製造現場では、働き方改革以前に以下のような課題を抱えていました。
- 人手不足と高齢化、技能伝承の困難: 若年層の製造業離れが進み、ベテラン層の退職により高度な技能やノウハウの伝承が滞りがちでした。特定の熟練工に作業が集中し、長時間労働が発生する要因ともなっていました。
- 属人化と非効率な作業: 作業手順が標準化されておらず、個人の経験や勘に頼る部分が多く、生産効率にばらつきが生じていました。また、紙ベースでの情報伝達や手作業によるデータ収集が多く、リアルタイムな状況把握や分析が困難でした。
- 硬直的な勤務シフト: 生産計画に基づいた固定的なシフト勤務が中心で、従業員のライフスタイルや家庭の事情に合わせた柔軟な働き方が難しい状況でした。これにより、従業員の定着率やモチベーション低下に繋がる懸念がありました。
- 改善活動の停滞: 日々の定常業務に追われ、現場からの改善提案や新しい技術導入への動きが鈍化していました。
- 従業員エンゲージメントの低下: 自分の仕事が会社全体にどう貢献しているのか実感しにくく、キャリアパスが見えにくいと感じている従業員も少なくありませんでした。
これらの課題は、A社の生産能力の維持・向上、品質競争力の強化、そして将来的な持続可能性にとって、看過できない問題でした。
働き方改革の目的と具体的な取り組み
A社が製造現場の働き方改革で掲げた主な目的は以下の3点でした。
- 生産性・品質の向上: 技術導入による作業効率化、標準化の推進、データに基づいた改善サイクルの確立。
- 従業員エンゲージメントの向上: 柔軟な働き方の選択肢拡大、スキルアップ機会の提供、仕事への誇りや貢献感の醸成。
- 持続可能な現場体制の構築: 技能伝承の仕組み化、若手人材の育成・定着、高齢者や障がい者など多様な人材が活躍できる環境整備。
これらの目的達成に向け、A社は経営層の強いリーダーシップのもと、以下の具体的な取り組みを推進しました。
1. スマートファクトリー技術の導入と活用
現場の「見える化」と作業支援を目的として、段階的にスマートファクトリー技術を導入しました。
- IoTによるデータ収集: 各製造装置にセンサーを設置し、稼働状況、生産量、異常データなどをリアルタイムで収集するシステムを構築しました。これにより、ライン全体のボトルネックや非効率な作業箇所を特定できるようになりました。
- AIによる予知保全・品質検知: 収集したデータをAIが分析し、装置の故障予兆を検知したり、製造中の製品不良を高精度に検知したりするシステムを導入しました。これにより、計画外のダウンタイム削減や不良品流出防止に貢献しました。
- 作業支援システム(AR/VR、デジタルマニュアル): 複雑な組立作業やメンテナンス作業用に、AR(拡張現実)を用いた作業手順表示システムや、タブレットで閲覧できるインタラクティブなデジタルマニュアルを導入しました。これにより、経験の浅い従業員でも正確かつ迅速に作業を進めることができるようになりました。
- 協働ロボットの導入: 人手不足の工程や、単調で負荷の高い作業に協働ロボットを導入しました。これにより、従業員はより付加価値の高い作業や、ロボットとの連携による新しい作業スタイルにシフトできるようになりました。
これらの技術導入は、単に自動化を進めるだけでなく、「人がより安全に、より効率的に、より創造的に働けるように支援する」という視点で行われました。
2. 柔軟な勤務シフト・制度の導入
現場の特殊性を踏まえつつ、可能な範囲で柔軟な働き方を導入しました。
- 複数チーム制・短時間勤務オプション: 特定の生産ラインにおいて、複数のチームが時間帯をずらして稼働する複数チーム制を導入しました。また、育児や介護、自己啓発の時間を確保したい従業員向けに、短時間勤務や週休3日などのオプションを試験的に導入し、適用可能な業務範囲を拡大しました。
- 希望考慮型のシフト作成システム: 従業員の希望やスキル、生産計画を考慮して最適なシフトを自動または半自動で作成するシステムを導入しました。これにより、シフト決定プロセスが透明化され、従業員の納得感を高めました。
3. 多能工化の推進とスキルアップ支援
特定の作業者に依存しない体制を構築するため、計画的な多能工化と全従業員のスキルアップを支援しました。
- スキルマップの作成と可視化: 各従業員が習得している技能や経験を作業工程ごとに詳細に定義し、スキルマップとして全社で共有・可視化しました。これにより、育成計画の立案や人員配置の最適化に役立てました。
- 体系的な研修プログラム: OJT(On-the-Job Training)に加えて、新しい技術(IoT、AI、ロボット操作など)やデジタルツールの活用に関するOFF-JT(Off-the-Job Training)を体系的に実施しました。外部研修やeラーニングも積極的に活用しました。
- 社内トレーナー制度の強化: ベテラン従業員が若手や経験の浅い従業員に効果的に技能伝承できるよう、指導スキル向上のための研修や、トレーナーとしての役割を評価する仕組みを導入しました。
- 資格取得支援: 国家資格を含む業務に関連する資格取得に対する報奨金制度や受験費用補助を拡充しました。
4. 現場の意見を反映する仕組みの強化
働き方改革が現場の実態に即したものとなるよう、従業員の声を吸い上げる仕組みを強化しました。
- 定期的な現場対話会: 経営層や人事担当者が定期的に製造現場を訪問し、従業員と直接対話する機会を設けました。働き方に関する課題や改善アイデアを自由に提案できる場としました。
- 改善提案制度のデジタル化と評価: 改善提案制度をデジタル化し、スマートフォンからでも手軽に提案できるシステムを導入しました。また、提案内容や実行された改善の効果を適切に評価し、インセンティブに繋げる仕組みを強化しました。
直面した課題と克服策
これらの取り組みを進める中で、A社はいくつかの大きな課題に直面しました。
- 技術導入への抵抗とデジタルスキルの不足: 特に経験豊富なベテラン従業員の中には、新しい技術やシステムへの抵抗感や、デジタル機器の操作に対する不安を抱える声がありました。
- 克服策: 一方的な導入ではなく、段階的な導入計画を立て、小規模なパイロット運用で成功事例を示すことから始めました。また、従業員のデジタルスキルレベルに合わせた丁寧な研修を繰り返し実施し、現場のキーパーソンを育成して他の従業員をサポートする体制を構築しました。ベテランの経験知とデジタルデータの組み合わせの有用性を具体的に示し、新旧技術の融合による相乗効果を強調しました。
- 多能工化による一時的な効率低下: 多能工化を進める過程で、不慣れな作業を担当する従業員が増え、一時的に生産効率や品質が低下する局面が見られました。
- 克服策: 育成計画を綿密に立て、余裕のあるスケジュールで進めました。重要な工程や難易度の高い作業については、熟練者の指導のもと、十分な練習期間を設けました。また、多能工化による中長期的なメリット(人員配置の柔軟性向上、突発的な欠員への対応力向上など)を従業員に丁寧に説明し、理解と協力を求めました。
- 柔軟なシフトとチームワークの両立: 柔軟なシフトを導入した結果、チームメンバー全員が揃う時間が減り、情報共有やチームワークの維持が難しくなる懸念が生じました。
- 克服策: デジタルツールを活用した情報共有基盤を整備しました。日報や連絡事項を共有するだけでなく、成功事例や改善アイデアを共有できるオンラインコミュニティを設け、チーム間の連携を促進しました。また、月に一度は全員が揃う時間を確保し、対面での情報交換やチームビルディングの機会を設けるなど、オフラインでのコミュニケーションも重視しました。
- 働き方の変化に対応した評価制度の見直し: 従来の「時間拘束」や「特定の熟練技能」を重視した評価では、新しい働き方(柔軟な時間、多能工度、データ活用能力など)を適切に評価できませんでした。
- 克服策: 成果(生産量、品質、改善貢献度など)に加え、プロセス(新しい技術や知識の習得意欲、チームへの貢献度、多様な業務への対応力など)を重視する評価基準を新たに設定しました。多能工化の進捗度合いを評価項目に含め、個人の成長努力が正当に評価される仕組みを構築しました。評価者である現場リーダー層に対する評価スキル研修も強化しました。
導入効果と成功要因
A社の製造現場における働き方改革は、いくつかの明確な成果をもたらしました。
定量的効果
- 生産効率の向上: IoTデータに基づいたボトルネック解消や作業手順見直し、AIによる予知保全、ロボット導入などにより、特定の生産ラインで15%の生産効率向上を達成しました。
- 不良品率の低減: AIによる不良検知やデジタルマニュアルによる作業標準化により、製品不良率が10%低減しました。
- 残業時間の削減: 業務効率化や柔軟な人員配置により、現場全体の平均残業時間が20%削減されました。
- 稼働率の向上: 予知保全や作業習熟度向上により、設備の計画外停止時間が大幅に削減されました。
定性的効果
- 従業員エンゲージメントの向上: 多様な働き方の選択肢が増え、スキルアップの機会が充実したことで、「会社が自分たちのことを考えてくれている」という肯定的な意識が高まりました。改善提案件数も増加し、現場の自律性が向上しました。
- 技能伝承の加速: スキルマップの可視化や体系的な研修により、若手従業員のスキル習得速度が向上し、属人化の解消が進みました。
- 採用競争力の強化: 柔軟な勤務制度や最新技術を活用したスマートな現場環境は、特に若年層の採用活動においてポジティブな要素となり、応募者数の増加に繋がりました。
- 安全性の向上: ロボットによる危険作業の代替や、デジタルマニュアルによる標準作業の徹底により、労働災害リスクが低減しました。
成功要因
この事例から見出される主な成功要因は以下の通りです。
- 経営層の強いコミットメントと明確なビジョン: 単なるコスト削減ではなく、「人も活かす働き方改革」という明確なビジョンが現場に浸透しました。
- 現場の実態に即した段階的なアプローチ: オフィス部門と同じ施策を単純に導入するのではなく、製造現場特有の制約やニーズを深く理解し、現場の声を吸い上げながら、実現可能な範囲からスモールスタートで進めました。
- 技術導入と組織・人材育成のパッケージ: スマートファクトリー技術の導入は、単なる設備投資ではなく、それを活用する「人」への投資(研修、スキルアップ支援)とセットで考えられました。
- 多角的な評価制度への見直し: 成果だけでなく、新しい働き方への適応度、スキル習得努力、チームへの貢献といったプロセスを適切に評価する仕組みが、従業員のモチベーション維持・向上に繋がりました。
- 継続的な対話と改善文化の醸成: 定期的な現場との対話や、改善提案を評価する仕組みが、現場従業員の当事者意識を高め、自律的な働き方改革を支えました。
他の組織への示唆
A社の事例は、製造業だけでなく、建設、物流、医療、サービス業など、現場業務を持つ他の大規模組織にとっても多くの示唆を含んでいます。
- 現場の「多様性」を理解する: 大規模組織では、部門や職種によって働き方の特性や課題は大きく異なります。一律の制度ではなく、現場ごとのニーズや制約を丁寧に把握し、テーラーメイドのアプローチを検討することが重要です。
- 技術は「ツール」であり「目的」ではない: 新しい技術導入は、働き方をより良くするための手段です。技術ありきではなく、現場の課題解決や従業員の働きがい向上という目的のために、最適な技術を選び、それを使いこなすための人づくりと組織づくりを並行して行う必要があります。
- 評価制度は働き方改革の推進力: 新しい働き方で重視される要素(柔軟性、多様性、スキル、貢献度など)を適切に評価基準に反映させることで、従業員の意識や行動変容を促し、改革の定着を加速させることができます。
- 継続的な対話と従業員の巻き込み: 経営層から現場リーダー、そして現場従業員まで、全ての層が働き方改革の意義を理解し、当事者意識を持つことが成功の鍵です。そのためには、一方的な通達ではなく、双方向のコミュニケーションを通じて現場の知恵を活かす仕組みが不可欠です。
まとめ
大規模製造業の製造現場における働き方改革は、多くの困難を伴いますが、適切に進められれば、生産性向上と従業員エンゲージメント向上という二つの大きな成果を同時に実現可能です。A社の事例は、スマートファクトリー技術の活用、柔軟な勤務制度の導入、多能工化とスキルアップ支援、そして何よりも現場の声を重視する継続的な取り組みが、その成功を支えたことを示しています。
働き方改革は一度行えば終わりではありません。技術は進化し、従業員のニーズや社会環境も変化し続けます。本事例を参考に、貴社においても、現場の実態に即したアプローチで、働く人々が活き活きと能力を発揮できる新しい働き方への変革を、粘り強く推進されていくことを願っております。